TATELINE.JPG - 3,795BYTESTATELINE.JPG - 3,795BYTESTATELINE.JPG - 3,795BYTESTATELINE.JPG - 3,795BYTESTATELINE.JPG - 3,795BYTESTATELINE.JPG - 3,795BYTESTATELINE.JPG - 3,795BYTES
LOGO.GIF - 3,270BYTES
BLOG.JPG - 4,061BYTES
  
2009年9月23日
 
城 会津まつり 
 
其の1
 
SW連休最後は会津若松へ出かけましたぶーぶー
 
今日は「会津まつり」の最終日クラッカー
会津藩公行列行列が行われます。
出陣式に間に合うよう朝7:00に出発です朝です
この日は長男もヒマだったらしく、親子3人父・一成あたし男の子で出かけましたdrive
 
2時間後会津若松「鶴ヶ城」に到着城
 
TSURUGAJYO.JPG - 21,212BYTES
 
歴代の会津藩公や関連武将、明治維新で活躍した新撰組、白虎隊など総勢500人の方々が集結しています行列
 
↓新撰組新撰組と愛直江兼続です。
 
MAKOTO.JPG - 20,407BYTES
NAOEGYOURETSU.JPG - 28,668BYTES
 
まつりの会場の本丸では
「ひろえば街が好きになる運動」をやっていました
 JT.JPG - 27,278BYTES 
JTたばこ(日本たばこ産業)がイベント会場に拠点を設け、スタッフがイベントの観客に対して清掃活動への参加を促し、応じた参加者には清掃用具(トング・ゴミ袋)を貸し出し、ゴミを拾い集めて拠点に持ち込んだ参加者には、JTオリジナルグッズやJT製品の飲料等が記念品として贈られるというものですニコニコ
実はGWのときには米沢でも行われました。
 
見ていてもとても気持ちのいい活動です。
どんどん広めていってほしいですネニコニコ
 
其の2
 
次に訪れたのは、会津藩主松平氏の別荘で薬園を併設している「御薬園」薬
 園の中央に屈折する池があり、中島を置き橋を架け島には楽寿亭が建っています木陰
 
OYAKUEN01.JPG - 22,681BYTES
 
園の中央にある茶室「薬寿亭」には戊辰戦争のときの刀傷の痕が残されていますいくさ
 
OYAKUEN02.JPG - 19,249BYTES
 
次は「御薬園」から街中を通り東に向かいますくるま。
 
アレッビックリマークと思ったのは信号機
いつもみているのは信号こんな感じなのですが、会津の信号はこんなのです信号au
SINGOU.JPG - 17,155BYTES
 
赤・黄・青がタテにならんでいるのです。
米沢でもこの信号を見かけました
 
雪国なので、積雪雪。対策のためでしょうか?
 
其の3
 
御薬園から東へ・・・
  
着いたのは「会津武家屋敷」武士
BUKEYASHIKI.JPG - 23,060BYTES
 
会津藩家老西郷頼母(たのも)邸を移設し、重要文化財の旧中畑陣屋、資料館など集めたミュージアムパークです。
 
ちなみに姿三四郎柔道のモデルとなった西郷四郎は頼母の子ですメガネ
SHINSENGUMI.JPG - 27,359BYTES
 
ひと通り見学したところで記念写真。
 
新撰組の羽織と鉢巻でパチリカメラ
 
休憩所のわきに弓道体験をしてみましたいて座
JUNYUMIYA.JPG - 30,446BYTES
息子です僕
 
レストランで食事割り箸をして、次は「会津藩校日新館」へ出発ですくるま。
そこには「どうしてもみたいもの」目があります
 
其の4
 
会津藩校「日新館」
NISSHINKAN.JPG - 21,069BYTES
 
1803年に完成した全国に数ある藩校の中でも屈指の教育機関です学校
戊辰戦争により焼失ました炎が、昭和62年に復元されましたニコニコ
 
内部は孔子をまつった大正殿を中心として素読所(小学ともいった)、講釈所(大学ともいった)をはじめ、たくさんの校舎がならんでいます。
天文台、開版方(印刷所)、文庫(図書館)、水練場(プール)といった施設まで完備していました。日本最古のプールです↓
 
SUIREN.JPG - 15,559BYTES
 
特に優秀な生徒は、この日新館をおえると、藩の費用で、江戸江戸(東京)や長崎長崎にも藩の費用で留学旅がらすすることができました。
 
会津藩校でもっとも有名なものはなんでしょう?
・・・
・・・
・・・
これです↓
JYUU01.JPG - 22,785BYTES
 
次回はコレについて
 
其の5
 
会津藩校「日新館」で「どうしても見たいもの」目とは・・・
これだったんですにひひ
 
「什の掟(じゅうのおきて)」
JYUU02.JPG - 17,996BYTES
 
会津藩の男の子供たちは、十歳になると日新館という藩の学校に入学するきまりになっていました。
六歳から九歳までの幼い子供たちは、入学前からしっかりとした生徒になろうとして自分たちの町に子供たちだけの集まりをつくりました。
その集まりを「お話の什(おはなしのじゅう)」とか「遊びの什(あそびのじゅう)」と呼んでいましたへえ
まず、会津の武士の子供はこのようにしなければならぬという心構えを教わりました。
お互いに約束を決め、子供たちの家を順番で会場にし毎日熱心に反省会を行いました。
そしてその約束には絶対にそむかないよう努力したのです。
その約束が「什の掟」です目
 
1 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
2 年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
3 虚言をいふ事はなりませぬ
4 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
5 弱い者をいぢめてはなりませぬ
6 戸外で物を食べてはなりませぬ
7 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

プンプン ならぬことはならぬものです 
プンプン
 
本「什の掟」は幼年者の自主的なルールで、最後に「ならぬことは ならぬものです」と結んでいます。
この言葉は、教育問題を解決する一つのキーワードに成り得るのではないかと思います得意げ
すなわち、不登校・いじめ・家庭内暴力・非行・凶悪犯罪の発生原因に、「ならぬことは ならぬものです」という教えの不足、あるいは私たちの認識の欠如にあるのではないでしょうか得意げ

今こそ大人も襟を正し、子どもに親として教えなければならない事があるはずです。
時には愛情をもって正すことも必要です。
それが「ならぬことは ならぬものです」に象徴されています。
社会規範は、時代によって変遷することもあります。
しかし、その中には変わらない事もあるはずです。
(NN運動HPより抜粋)
 
武士 会津ってすばらしい 武士
 
完 
 
 
BLOG.JPG - 4,061BYTES
 
 
 
 
 
GREEN12.JPG - 1,357BYTES